海底室

ブクブク

アドバイスウォーズ

日記、めちゃくちゃめんどくさいな。めんどくさければめんどくさいほど毎日更新の推しのすごさを知る。推しの凄さを実感するために続けます。

 

今日は風の強い中散歩というか買い物に行きました。春一番かな。めちゃめちゃに突風が吹いている。

ウイルスの影響だか、人口減少の影響だか、はたまた単に時期や時間帯が悪かったのかは知らないが、私が学校に通っていた頃より遥かに人通りが少なく感じる。おそらくどれも微妙に関係してるんだろうな。風も強いし。

街並みは帰省のたびにほんの少しずつ変わっている。あったはずの建物がなくなってたり、なかったはずの建物ができてたり。近頃は公衆電話を見なくなった。高校生まではよく使っていたんだけど、いっぱい撤去されているっぽい。この世は無常。

よく通った文具店はまだ健在だったが、店内のレイアウトがいつの間にか変わっていて、有名になった同郷の女優のサインなどが飾ってあった。全体的に変わっていたはずなのにイマイチそんな気がしないのは、商品のラインナップや色味がほとんど変わっていないからだろうか。別に親しみやすいわけでも敷居が高いわけでもない、なんでもない店で、だからこそ通いやすかったように思う。

私の故郷はド田舎なので人口が減少しまくっているし、抉りこむような少子高齢化の進み具合だ。なので過去に通った店だろうと学校だろうとどんどん潰れていくのが必然だと思っているし、最近ではあまり感慨も覚えなくなっている。適応というやつなんだろうかね。やがてほぼゴーストタウンのようになるのかもしれないが、近しい人間が最期まで楽しくあれればそれでいい。というか、完全に人気のなくなった故郷の光景って美しいかもしれないなと思い始めている。半端に開拓されて半端に自然の残った廃島、趣深い……。

 

ついったーでTLを見ていると定期的に「同人活動ってつらい」みたいな悩みが流れてくる。同人活動をする人の中には常に一定数苦しんで喉掻きむしっている人間がいる。それで、今日ちょっと流行ってたのが、そんな悩みに対して「正気に戻るな、この粉を吸え」というアドバイス的ネタツイート、そんなネタに「乱暴なアドバイスなんて見てて楽しくない」と苦言を呈すツイート、そして「同人活動で売れるにはどうしたらいいのか」を分析し的確な風にアドバイスするツイート、といった感じだ。この手のプチ不穏は日常茶飯事だ。

同人活動に限らず、ツイッターではこのような、常に一定数いる悩める人々への普遍的と思しきアドバイスが日常的に飛び交っている。みんな優しいので、困っている人がいたら放っておけないわけだ。

しかし、RTで流れてくるアドバイスというのは、大抵誰に対してのものかわからない、非常に範囲の広い悩みに対してふわっとアドバイスのようなことをしているに過ぎない。同人活動を例にとると、「自分の小説同人誌が売れない」という悩みのような。

「自分の同人誌が売れない」という悩みを共有していても、悩んでいる人たちそれぞれの背景や性格はまったく違う。応援すれば喜ぶ人もいれば、逆に頑張りたくなくなる人もいる。技術的な面を教えてほしい人もいれば、単純に慰めてほしいだけの人もいる。技術的な面にしたって、宣伝方法なのか、創作が上手くなる方法なのかも違う。正しく千差万別である。

そんなのは当たり前だと思うかもしれないが、ツイッターではしばしばそのことを忘れられる。大きな括りの人間たちに物申した方がバズるからだ。これはマジ。フェミとかオタクとかそういうののことだよ。

なので、勝手にRTで流されてくるアドバイスはすべて正しいし間違っている。あるいはそのどれでもない。第三者がアドバイスの是非をジャッジすることは困難だし、たとえアドバイスをされる側であってもそれはできない。

まあつまりアドバイスのようなものは自分に必要なのを選んで食べればよくて、全部鵜呑みにする必要ないな、って思うんです。なんらかのネタツイート構文が流行ったらそれへの苦言がバズるのも様式美ではあるけどね。

ツイッターの連中なんてどいつもこいつも無責任だから自分で悩み抜いて血反吐吐いて四肢引きずりながら活動するのが良いと思いますけどね私は。まあ私はハッピー同人ライフなんですけど。同人で困ったことないな~ハハハ

 

なんか理屈っぽいようで堂々巡りなあっさいこと言っちゃった気がする。これはまあ練習だから。言語化の。大丈夫大丈夫。遅いしはよ寝よ。