海底室

ブクブク

エモーショナルストーリー

一日がやんわり過ぎました。すごい雨ですね。

 

帰省したらいつも祖母や親戚の元へ挨拶に回る。田舎なので。今日も例に漏れず祖母へ挨拶に行った。

祖母はもう随分歳で、小さい頃に世話をしてくれたり料理を作ってくれたりした姿とはかけ離れているのだと思う。なんで微妙に言い切れないのかと言うと、あんまり記憶に自信がないからです。

小さい頃は祖母が好きだった記憶がある。今は好きとか以前に情とか同情の意味合いが強い気がする。我がことながら薄情ではあるが、素直な感情だとそうなるので仕方がない。ただ、小さい頃の好きだった感情も、胸を張って言えるような世間一般的に美しいと言えるような”好き”だったかは自信がない。祖母はよくお小遣いをくれる人だった。子供心に好きを分類するのは難しかったろう。

感情には一応あらかじめラベルが分けられている。好きとか嫌いとか、ムカつくとか嬉しいとかそういうものだ。しかし当然ながら、感情の起因や行き着く先まで含めた細かい分類わけはそうそうされていない。同じ”好き”でも、北海道と沖縄くらい離れてることは往々にしてある。留意したいのは、その感情のどれもがその本人の中での事実であるというだけで、善悪も貴賤もないという点だ。

見返りを求める愛なんて間違ってる、とか、そんなのは下心でしかない、とか、相手に暗に何かを要求する感情は下賤だと言われやすい。でも本人が自覚してないだけで、あるいは自覚しながら隠しているだけで、そんな感情誰にだってあるもんじゃないのか。あるでしょ。純粋に相手を思う気持ちが100%でないのと同じく、下心だけが100%であることも少ない。そんなふわっふわ基準のものにランク付けしてたらキリがないね。

極論を言えば私は祖母のことが大嫌いだとしてもなんら問題はない。しかし現実の私はやはり過去にたくさん世話をしてもらった人への情を強く感じている。情の中にはあらゆる物語があるから、やはり感じた情だけが確かなのだなあ。(みつを)

こういうことを考えると結局フワフワしたところに落ち着く。上手くいかないなあ言語化って。

 

あとねこの予防接種をしました。実家には3匹いるので、いっぺんに予防接種に連れていくとなると二人以上必要なのである。猫どもは走る車の中にいるとめちゃくちゃうるさく悲壮に鳴く。よっぽど嫌なんだろうなと思う。

こないだからパソコンをいじる私の膝にずっと一匹乗ってくる。かわいい。柔らかくていい匂いがする生き物だなあ。

 

父がスパイスからカレーを作っていた。あと燻製にもハマっているらしい。この年齢の男性がハマることってみんな一緒なのか?それはそれとして美味かったです。

 

引っ越しのために買い物リストとかやることリストとかを作った。えらい!こういうタスクがいっぱいあるとき、私は事前に計画して効率よくできると気持ちがいいタイプだ。だからといって効率が悪くて機嫌が悪くなるということはない。ないと思いたい。ないよな?気をつけよ……。

 

明日はお絵かきしたいなあ。