海底室

ブクブク

青の筆箱

長い自分語り

 

 

 小学校入学用の文具を揃えるため買い物に行った先で、青いポケモンの絵柄の筆箱を買おうか悩んでいる私に、母はあろうことか「早く決めな」と急かしたのだ。それが私にとってはひどく衝撃的だったようで、今でも事あるごとに思い出す。

 

 ノンバイナリーの本を読んでいる。クソ分厚く、気合を入れてちょこちょこずつという感じだけど、なんとか半分くらいまで読んだ。ノンバイナリー当事者の体験談を集めた本で、話のどれもが身近なようでいて、まったく同じ体験をする人物はいなかった。もちろん私にとっても、未だ完全に共感する話に巡り合っていない。しかし、それはおそらく未だ当事者による体験談の数が少ないからだ。数が増えれば自分のアイデンティティを決めかねている人間が、ここぞというポイントで共感するエピソードも出てくるだろう。なので私も書くことにした。というか書きたい。文章を通して自分の感情をまとめること、つまり自分語りがとても大好きなため。
 これから語るのはただのいち個人の話であり、誰の気持ちも代表しない。ただ、その中に「あ〜そういうことあるある」の要素を見つけてなんか上手いこと取り込んでくれたら幸い。興味ない人は長いから読まない方がいいと思います。

 

 私はなんの変哲もない平凡な家庭に生まれた、にしてはちょっと場所は特殊だ。島で田舎、超少子高齢化社会であり、電車がなく本土への橋もなく、島から出るには船か飛行機しかない。大学もない。進学するなら高校の選択肢は1択、そういう感じだった。おそらく都会しか知らない人が想像するほど田畑しかないわけでもない。商店街もちょっと大きめの複合スーパーもある。でもうすら寂れていて、なんとも説明しにくいが、若者にとってはあんまり住み良い土地ではなかった。魚はうまい。田舎でまあまあ昔ながらの感じが残っていたので、親戚の繋がりは強かった。盆と正月、何かの節目には挨拶周りをするし、祖母に面倒を見てもらっていたことも結構あった。
 兄の影響か、主に男児が観ていたアニメや読んでいた漫画を好んだ。ポケモンとデジモンが好きで、ゲームが好きで、ドラクエの主人公になりたいと言っていた。園児の頃のことはよく覚えていないが、ヒーローになりたかったこと、スカートを嫌悪していたことは覚えている。祖母に“俺”という一人称をしつこく正されていたのもこの頃だったろうか。
 父母は私が男のように振る舞うことに文句を言わなかったが、摂取していたコンテンツ、保育園や親戚との交流の中で、ジェンダー規範に逆らうことがどんな扱いを受けるのか、私はなんとなくわかっていたんだろう。保育園から小学校に上がるとき、青いポケモンの筆箱を見つめながら、「これを使っていたら小学校で悪し様に言われるのではないか」と、そんなことばかり考えていた。それでも、女児が好むアニメのキャラクターが描いているファンシーな筆箱は、選択肢に入っていなかった。単純に知らないコンテンツだからというのもあるし、この頃の私は女性ジェンダーであることを憎んでいたからもある。
 筆箱を買おうか悩んでいた時間がどれくらいか覚えていないが、母は業を煮やしたように私に苛ついた声を投げかける。「それにするの?早く買うよ」と、なんだかそんなようなことを言った。私は驚きながら、急かされるまま青い筆箱をレジまで持っていった。「女の子なのにそれにするの、恥かくかもよ」って言われると思っていたのだ。ランドセルは私の選択が介入できずなんか紅色のやつになったが、青い筆箱だけはたしかに私が欲しいと思った文房具だった。

 

 結局、小学校に上がって青い筆箱を使っていたからといって何かいじめられるということはなかった。というか、“そういうキャラ”を過剰に演じていたから筆箱など些細な問題だった。私は“男になりたい女の子”として振る舞った。兄のお下がりの服を着て、髪を短くし、“俺”を使いこなして、女子コミュニティから離れた。今になって思っても、私が“女の子”であることはなかったのだが、みんなが“女の子”と認識しているからそうである、ということを疑える知識がなかった。“女の子”の成分を薄めるためには男の振る舞いをするしかない。狭い島で生きる子供に、それ以上の知識に触れる機会はなかった。
 できるだけ“女の子”に見られないように頑張った。結婚式参列の衣装もパンツスタイルを買ってもらえるようお願いした。両親は私を女と疑っていないだろうが、それでも私の意向はちゃんと汲み取ってくれる人たちだったと思う。祖母の前では極力一人称を喋らないように話した。それでも年齢を重ねるにつれて、限界が来ていることはわかっていた。
 中学生に上がるとき、私は短パンを中に履いているという意識を拠り所にして、スカートの制服という苦痛を受け入れた。学ランを着たいという主張はしなかった。それがどんなに困難を伴う生活かわかっていたし、親を困らせたくなかった。祖母が“俺”という一人称を諌めるとき、母は私を庇ってくれながらも、そこそこに困っていた。子供が変だと困るらしい。ただでさえ狭い島の狭い人間関係では、変な子供はきっとあっという間に広まる。それよりは、私が大人しくスカートを履く方が得策だった。その代わり、制服を着崩したり眉を整えるような、“ちゃらちゃらした”ことはしなかった。渋々着ているんですよ、という精一杯の抵抗だった。
 スカートの制服も1年も経てば慣れ、髪も伸ばすようになった。ひどい天パなのでその方が楽なのもあったし、スカートを受け入れたことでブチ折れた私の矜持の前では、髪を伸ばすくらい造作もなかった。そういえば一人称も初対面では“私”を使うようになった。誰にも彼にも“俺”と名乗っていた頃、「なんで俺って言うの?」という素朴な疑問に応えるのがめんどくさくなった。私のやっていることが“変”であると事あるごとに突きつけられて己を貫けるほどは強くなかった。“女の子”であることには慣れたが、どこかで中途半端に抵抗するような日々だった。制服以外のスカートは履く気が起きなかった。
 つつがなく“女の子”の生活を終え、大学生になった。大学に行くには当然島を出る必要があるので、知らない土地で一人暮らしが始まった。それはそれはもう、快適であった。2人ほど島時代の友人知人がいたが、私の動向を気にする者はおらず、当然私がどのような振る舞いをしても両親が困ることもない(留年して迷惑はかけた)。そして大学で出来た友人は、私がニュートラルに在ることを素朴に許容したし、好ましく思っていることを表現してもよい、丸みを帯びた友人関係が恥ずかしいものではないと教えてくれた。俗に言う陰の者が多い大学だったから身なりに気を使わなくてもびくびくせずに済んだ。こうして考えると何かと小心者であることを隠して生きてきていたな。
 私がどうあっても誰も困りにくい環境を得てようやく、私は自主的にスカートを履けるようになった。皮肉なことではあるが、スカートを履くことを誰にも強制されず誰にも求められないことで、スカートは私のアイデンティティを過度に脅かすものではないと思えた。元々下半身が大きめの私の体型でズボンを似合わせるには高度な技術が必要だったが、スカートはそれを容易にした。おしゃれに着飾ることが苦ではなくなった。男や女の呪縛は解け始めていた。就活はパンツスーツに革靴で行って、一社で受かった。つくづく運だけは良い人生だった。

 

 私にとってアイデンティティとは帰属意識に大きく左右される。小さい頃男児が好むコンテンツを好んだ私は女児への帰属意識が持てなかったが、同時に男児への帰属意識もまた薄かった。なんとか溶け込もうとしたこともあるけど、お絵描きが好きで、アクションゲームにそれほど熱狂できず、“女子”を性的な目で見ることもなく、わざと悪ぶって集団に迷惑をかけることも好まなかった。友達は女子ジェンダーばかりだったが、かといって“女子”が好む(と思っていた)男性アイドルや恋愛やおしゃれなどの趣味は拒絶した。男子グループにも女子グループにも私の居場所はなく、ただ周りが私を女子だと言うから女子だと名乗った。女を強く主張する自分の名前も本当は嫌いだったけど、シリアルナンバーだと思って飲み込んだ。今もたまに違和感がある。男でも女でもないという意識を抱えたまま、めんどくさくならないよう受け流しながら生きた。
 人生の転換点といえば、今のパートナーに出会った時だ。パートナーは女性(と私は認識している)であり、私も一応女性と見られているため、ここで初めて真剣に自分のセクシャリティに悩んだ。本とかも読んだ。結局そのときはパンセクシャルということに落ち着いたが、セクシャリティに加えジェンダーにも色々あるということを、ここで初めて知った。そしてパートナーとの関わりは今までの私には存在しない種類のものであり、インターネットの毒性を溜め込んだフグ人間の私をどんどん解毒していった。自分自身を労り認めることへの抵抗が少しずつなくなっていった。
 毒を溜めたのもインターネットだが、解毒に役立ったのもインターネットだ。強者主義的な世と、差別を容認する世から離れるために、私はSNSを見はじめた。幸い、今は正しいところに落ち着けたと思う。インターネットには毒もあるが、世の毒を薄めるために努力する人もまたいて、当事者による語りもあって、今までに感じたことのない経験の共感も得ることがあった。
 自分がノンバイナリーだと思い始めたのはつい最近だ。元々そのような自覚はあったが、わざわざ自分のジェンダーを小難しいカタカナ語で語る必要なんてないじゃんと思っていて、視界に入っても意識に入ってこなかった。しかし今まで積み重ねてきた関わりの中で、なんとなく”高尚そうなもの”へのくだらん忌避感もほぼなくなり、改めて考えてみることができた。私がジェンダーを上手く言い表わせないことは確かだが、ノンバイナリーという自覚を持ち、ノンバイナリーとして生きてみてもいいのだろうと思った。結局男女のような帰属意識を持つことはできていないが、私をそこそこに説明する言葉があるというのは落ち着きを与えてくれた。
 最近伸ばしていた髪を短く切った。センター分けで、いわゆる”メンズカット”という感じのやつだ。服をちょっとかっこいい感じにした。SNSで見た感じのを真似してみた。私の体型でもかっこよくおしゃれになるファッションがあるんだね。変わらずスカートも好きだけど、なんだか性別のよくわからない見た目になるのがとても自然であるように思う。手術や性別移行の意思はないし、通称を使うのも、他者からの呼称を逐一訂正するのもめんどくさい。あとめんどくさい奴と思われたくない。だから対外的には何も変わらず、ともすれば「大人しくて楽なマイノリティ」「ファッションマイノリティ」ではあるだろう。ただ誰がなんと言おうと私はノンバイナリーであることを、この先ジェンダーが揺らいだとしてもこのときの私がノンバイナリーであったことを覚えておこうと思う。
 一応注釈するけどこれは私の場合であって、マイノリティ当事者から「こうしてほしい」と要請があったとき「めんどくさい奴め!」とか言うのは本当に良くないよ。社会が爆裂にマジョリティ向け設計であることを念頭に置こう!

 

 私は自分のロールモデルに出会えなかった。恋する乙女や、誰にでも手を差し伸べるヒーローや、男勝りだけど本当は”かわいい”ハンサムな女の子や、”男”だと認めてもらいたいかわいい見た目の男の子のどれも共感を生む表象ではなかった。これは、子供も見るような大衆向けコンテンツに多様性がなさすぎることの明確な弊害だと思う。今は多少マシになったけど、本当に多少レベルだ。あいもかわらず自由のない子どもたちの中には、自分のロールモデルを求めて彷徨う羽目になる者がいるだろう。今はインターネットがある。でもそもそも存在を知らなければ探しに行けない。自分の状態に名前がつくのかもわからないまま苦しんだりもする。
 教育の面でも網羅的に知識を入れてほしいなあ~今のクソカスヤバヤバ政府に希望がなさすぎるけど、どうにかなんとか無用にたくさん苦しむ必要がなくなるようにしたいところだよね。
 大変だけど頑張ろうね人生。

 

 青い筆箱は多分捨てちゃったと思う。でも今はもう青い筆箱だってなんだっていくらでも買えるからいっかな。